2022年7月11日月曜日

令和4年7月11日

 [問われる司法のあり方]


 第26回参議院議員選挙は昨日7月10日投開票日を迎え、おかげさまで自民党は単独で改選議席過半数を獲得する大きな勝利を得ることができました。


 会長を務める自民党埼玉県連が全力で応援した関口昌一候補は、目標とした100万票の獲得には至りませんでしたが、有力候補がひしめき合う中トップ当選を果たし、連立与党である公明党公認西田実仁候補も当選となりました。多くの関係の皆様のご尽力の賜物だと深く感謝しております。


 選挙戦最終盤の8日、奈良県で応援演説をされていた安倍元総理が銃撃されて亡くなるという大事件が起きてしまいました。

 安倍さんは私が2004年の埼玉8区衆議院議員補欠選挙に立候補する際、自民党立党以来初となる全国公募を実施され、81人の応募者の中から私を選び、かつ当選に導いて下さった政治の世界の産みの親です。また、その後も我が強い私を見放すことなく育てて下さり、安全保障担当の首相補佐官や当時の閣僚最年少だった文部科学大臣など、重要な役割を与えて下さいました。


 憲政史上在任期間最長の総理として諸外国でも高く評価され、今回の訃報に対して世界中から寄せられる哀悼の言葉の数々に改めてそのプレゼンスの大きさを実感する次第です。


 今回の参院選では、深刻化するウクライナ情勢への対応や物価高対策などが争点となりましたけれども、連日にわたって私の地元埼玉を含め、同志の応援に走り回った安倍元総理の魂に報いるとともに、暴力による民主主義への挑戦には決して屈しないことを有権者の一票一票の行使によってお示しいただきたいとも最後まで訴えさせていただきました。

 冒頭の結果をきっと安倍さんも喜んで下さると思います。後に残された私たちが悲しみを乗り越え、その志を受け継ぐとともに発展させていくことが、故人に対する何よりの供養になると信じています。安倍元総理のご冥福を心からお祈りするとともに、ご家族やスタッフの皆様にお悔やみ申し上げます。


 今回の安倍元総理の事件で問われるのは、街頭演説会場における警備のあり方です。オープンスペースに不特定多数の人が行き交い、そして集まる街頭演説では、これまでも世界で要人を狙う事件が発生してきました。国の命運を左右しかねない結果となる以上、このことを改めて考える必要があるのではないでしょうか。

 私が文部科学大臣在任中に街頭演説した際、聴衆の一人が通りに出ようとしたのを埼玉県警が制止したり、安倍元総理が3年前の街頭演説中にヤジを飛ばした二人を北海道警が排除したことが問題となりました。後者は現在訴訟が継続中で裁判自体にコメントすることは控えますが、私が大臣時代にコメントしたとおり、街頭演説は党派のいかんにかかわらず候補者がその意見を公衆に伝える民主主義にとって最も重要な表現行為(憲法21条による保障を受ける)だということを重く考えるべきです。


 聴衆は候補者の意見を聞きに来ているわけで、来場した一部の人との議論を聞きに来ているわけではありません。(それは別に多くの機会が設けられています。)聴衆の聞く権利も憲法21条で保障されているはずです。ましてやヤジで当該演説への集中をそいだり、妨害するような行為が、憲法上保障されているというのは行き過ぎではないでしょうか。公選法における選挙の自由を妨害する罪は確かに限定的に適用されますが、刑罰に抵触しない程度の行為だからといって一切規制の対象とならないとするのは明らかに上記した憲法上の権利を軽視したものでしょう。

 もちろん警備に際しては聴衆個々人の安全や人権への最大限の配慮が必要となり、限界はありますが、今回の事件をきっかけに改めてそのあり方を議論すべきだと考えます。


 実は司法は国のあり方そのものを左右する大きな意味を持つ場合があります。

 私が司法試験受験生だった平成初期、憲法学会では「団体の自律性」を重視するトレンド、裁判が主流でした。一般社会における法秩序やその確保のための司法審査が、ある団体の運営や規律にどこまで及ぶかを議論する際、私的団体の自治や地方自治などの観点から極力抑制的に行うべきだという議論です。

 当時私はこの問題は一定のバランスをもって議論されるべきでないかと思っていました。そしてその思いは平成7年に発生したオウム真理教の地下鉄サリン事件などにおいて確信となりました。団体にもその作用にも様々なレベルがあります。公的な関与を抑制するべきというドグマがあまりに強く出すぎると、時に大きな禍根を残すことがあるのでないかと思います。


 現在、私は超党派の共同養育支援議員連盟の会長を務めており、世界的に見て稀で、かつ実子誘拐などを誘発していると海外から指摘されている離婚後の単独親権制度に関する法整備について、政府の法制審議会家族法部会と並行して議論をしています。

 その議論の過程で見えてきたのは、離婚後の親権獲得について司法が「継続性の原則」すなわち子供を連れ去った親が継続的に監護を行えば、その継続が子の利益になると判断する傾向が強いということでした。

 子供の権利条約は子供がそれぞれの親から引き離されない権利があると定めています。また、法務省は正当な理由のない子の連れ去りが実親によるものであっても未成年者略取誘拐罪に該当しうると答弁しています。

 これらを踏まえて、親権の問題を含め、民事刑事にかかわらず裁判所には迅速かつ両親の意見を公正に踏まえた判断をして欲しいし、養育費の支払いと親子交流のあり方は子の利益の観点から一体として判断して欲しいと思います。


 アメリカでは連邦最高裁の判事の構成により判決が大きく変わり、それが国のあり方を根底から変える意味を持つことが知られています。日本の裁判官はその独立性が憲法上保障され、民主的なコントロールが及びにくいですが(それでも衆議院議員選挙時に最高裁判所判事の国民審査という制度があります)、そうであるが故に、司法がもたらす大きな国への影響に私たちは関心を持つべきです。