2018年8月16日木曜日

平成30年8月16日

[平和への祈り]

 昨日8月15日、平成としては最後の終戦の日を迎えました。全国戦没者追悼式に臨まれる天皇皇后両陛下のお姿には、格段の思いが込められているように思いました。

 私は自民党安倍総裁の名代として、総裁特別補佐の立場で靖国神社に参拝し、先の大戦で尊い命を失われた方々の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げるとともに、恒久平和の誓いを致しました。マスメディア各社のインタビューで、これが諸般の事情による私的参拝であること、そして総裁からは、先人の御霊にしっかりお参りをして欲しい、本日参拝に行けずに申し訳ないとのメッセージを預かったことを紹介致しました。

 また、先日8月9日には、自民党を代表して長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に出席し、心を込めて献花させていただきました。その機会に原爆資料館を訪問しましたが、多くの悲惨な被害に関する展示を見るにつけ、改めて絶対に戦争は回避しなくてはいけないと強く感じた次第です。

 しかしながら世界に目を転じれば、国益と国益のぶつかり合い、権力闘争や弾圧、宗教や民族の対立など、様々な理由による武力衝突は後を絶ちません。
 そして日本も、隣国から、領土や資源をめぐり、また日米同盟への挑発などにより、朝鮮半島の情勢の不透明化も手伝ってまだまだ軍事的な脅威にさらされている状況は変わっていないのです。

 悲劇を二度と繰り返さないために国際社会は、外交交渉に加え、国連の取組みや多国間での条約などによる、話し合いでの問題解決を少しずつではありますが重ねています。
 私も外務大臣政務官時代に、ニューヨーク国連本部で開催されたNPT(核不拡散条約)運用検討会議準備委員会に出席し、北朝鮮問題やイラン問題に加え、NPT加盟国の拡大や保有国の核軍縮を行うよう強く世界に訴えました。

 しかし核保有国は脅威に対する抑止力を理由に、他国も核縮減を行うことやその検証がなされることを担保しない限り、自分から先に核を廃棄するということにはなかなか応じられません(安全保障の観点からは無理からぬ部分があります)。ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が尽力して締結にこぎつけた核兵器禁止条約については、締結国が率先して核の廃絶に取り組むというもののその具体的な道筋は明らかでなく、締結に非協力的な保有国ないし保有に向けて取り組む国と、非保有国の溝をかえって深くするものです。犯人が現に拳銃を持っているのに、警官に先に銃を捨てろ、他の人は銃を持つなというのが無理なのと同じです。

 日本がこの条約に加盟できないのは、こうした原理的な疑問によるもので、日本が核の傘に守られているからということと別の理由があるのです。

 その意味では北朝鮮が半島の非核化について同意をしているというのは画期的ですが、これが自らはこっそり隠れて核を持ちながら、韓国には米国の核兵器を持ち込ませないという話にならないよう、しっかり目に見える査察を伴わなければ、現在国連決議に基づき行っている経済制裁をおいそれと解除するわけにはいかないわけです。また、日本の防衛予算も引き続きとても重要な意味を持ちます。

 道は険しいですが、真の平和に向けての努力を真摯に少しずつ重ねていくことをお誓い致します。